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▲当線の林道標。赤沢自然休養林の森林鉄道記念館にて保存展示されています。現役当時はどの辺に設置されていたのでしょうか。
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2003年11月上旬撮影
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▲上写真の林道標。反対側。
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2015年4月29日撮影
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▲JR上松駅の名古屋側。矢印のトコが西貯木場だが、すでに廃止されている。現在は陸の孤島状態か。西貯木場は東貯木場の余材を貯材するために造られたという。
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2003年11月上旬撮影
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▲現役(蒸気)時代の西貯木場。「木曽森林鉄道ボールドウィン号 生誕100周年記念イベント 上松駅前会場」にて展示の写真パネル。
★★説明★★
上松駅の周辺には、小川線・王滝本線をはじめとする集材基地があり、多くの木材が国鉄中央線の貨車に積載されていきました。
写真の西貯木場は栄町の木曽川沿いにあり、軌道は上松駅から南に延びて、この貯木場へ導入されていました。
西貯木場は「西土場」と呼ばれて親しまれていました。写真に写って空を走る、数多くの架線が驚きを誘います。
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2014年9月28日撮影
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▲西貯木場跡。中央西線の列車内より望む。すでに自然に還っている。
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2015年3月2日撮影
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▲西貯木場を木曽川対岸から望む。かつて場内(矢印付近)に「舟渡尻高架桟橋」というのがありましたが、中央西線の複線化工事に伴い、1968(昭和43)年8月22日に撤去されています。
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2009年5月下旬撮影
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▲東貯木場と西貯木場の間。同じく木曽川対岸から。矢印の付近に「舟渡尻橋梁」というのがありましたが、中央西線の複線化工事に伴い、1968(昭和43)年12月18日に用途廃止になっています。
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2009年5月下旬撮影
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25-2
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上松西貯木場ー上松東貯木場 2017年10月9日追加 |
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▲舟渡尻橋梁跡(と見られる)。延長約70m。JR東海の「さわやかウォーキング・木曽森林鉄道遺構を巡るコース」参加時に撮影。
ちなみに、手前の道路は坂になっているのですが、その名前(通称)が“正島坂”と言うらしい。ふと、深夜にテレビ朝日で放送されている“全力坂”を思い出してしまった。“全力坂”は、東京の数ある坂を、アイドルや女優など売り出し中の女性タレントが全力で駆け上がる番組(実質2分間の番組)。なお、アイドルや女優を目的に観ているわけではありません(笑)。“坂”が目的です。 |
2017年4月16日撮影
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▲東貯木場の端から西貯木場方を見る。
ふたつ目のJR架線柱付近に「正島陸橋」というのがありましたが、やはり中央西線の複線化工事に伴い、1968(昭和43)年12月18日に用途廃止になっています。
中央西線複線化工事以前は、林鉄線は独立していましたが、以後はスペース的な関係から、西貯木場まで国鉄線との三線(併用)区間となっていました。ちなみに、西貯木場〜東貯木場間は、正確には「上松貯木場線」というらしいです。本線(王滝)廃止後もしばらく使われていたそうである。
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2003年11月上旬撮影
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26-2
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上松西貯木場ー上松東貯木場 2017年10月9日追加 |
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▲現在の正島陸橋。[写真25-2]の左側。かつての正島陸橋(1スパンの軟鋼工字桁)は、矢印の辺りにあったようです。 |
2017年4月16日撮影
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26-3
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上松西貯木場ー上松東貯木場 2017年10月9日追加 |
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▲別角度から。 |
2017年4月16日撮影
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正島の国鉄ガード改修 広報あげまつ 昭和43年9月1日
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国鉄中央西線複線化工事は、いま急ピッチで進められており、この工事のために正島の坂上にあるガードが現在の位置より少し名古屋側に巾員5.5m、高さ4.5mのコンクリートガードの改修工事が施工されている。
工事は国鉄で、取付道路は町で80万円かけて施行し工事期間は10月末日までとなつており通行者にはご迷惑をおかけしますがご協力下さい。
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26-4
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上松西貯木場ー上松東貯木場 2017年10月9日追加 |
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▲[写真26-3]から東貯木場方を見る。 |
2017年4月16日撮影
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26-5
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上松西貯木場ー上松東貯木場 2017年10月9日追加 |
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▲[写真26-2]の右側。電電公社の“亡霊”。 |
2017年4月16日撮影
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