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▲前ページの数歩先。ココからは舗装路。生活道路になっているのだ。
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2009年5月下旬撮影
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▲上写真から上松方を見る。右奥に藤久保集落がある。 |
2009年5月下旬撮影
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▲[写真20]のすぐ先。
“北野の古参兵殿”によると、線路は2線で、駅舎はなく、運転連絡電話用の小さな小屋があっただけという。また、右手の立木の辺りにかつて小さな土場(貯木場)があったそうである。近くの灰沢流域より“木馬(きんま・きうま)”で搬出された木材を一時的に貯材するためのモノという。留め置かれた木材は、順次林鉄にて上松の土場に運ばれたそうな。 |
2009年5月下旬撮影
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▲木馬。盤木を並べた搬出路を人力で曳く。重労働の多い山仕事の中でも木馬曳きは一番の力仕事で、一升の飯を食べたという。大井川鐵道井川線・接岨峡温泉駅そばの「川根本町資料館やまびこ」にて。 |
2010年3月28日撮影@ワル沢氏
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▲[写真22]から上松方を見る。 |
2009年5月下旬撮影
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▲上写真と同位置。 |
写真提供:林鉄男氏 撮影日:1995年10月
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▲[写真22]の数歩先。軌道時代とは周囲の様相が一変しているという。 |
2009年5月下旬撮影
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▲上写真から上松方を見る。左の道を行くと赤沢自然休養林に向かう道路(県道)に出ます。 |
2009年5月下旬撮影
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