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▲前ページの数歩先。焼笹停車場に入る。厳密には数歩先からが構内。
学童輸送列車「こまどり号」の発着点。高倉停車場から2.1KM。上松から7.8KM。
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2009年5月下旬撮影
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▲上写真から上松方を見る。当区間はちょっと手を加えればハイキングコースになりそう。左に「焼笹橋」がある。 |
2009年5月下旬撮影
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▲上写真の場所をゆく上松行きの学童輸送列車「こまどり号」。最末期の様子。SBC信越放送製作のDVD『信州 蘇る思い出の鉄路』の一場面。同局において1966(昭和41)年2月28日に放送された「私たちの周辺『林鉄 こまどり号』」を収録。
「こまどり号」に関して、上松町発行の「上松町報(現・広報あげまつ)昭和27年11月10日発行」に以下の記事があったので紹介したい。
■ 『良き子供のために 運輸営林署の厚意』
二里半の道を歩いて学校に通う才児、焼笹の子供達は1日中の8時間も学校え通うだけに時間をうばわれ家え帰つて勉強する時間もない実情であつた。これを見かねたPTA及び学校、これに町が協力して間近に冬も迎えていることでもあり、楽しく勉強が出来るよう通学列車を運転して戴けるよう上松運輸営林署にお願いしたところ、早速気の毒な子供達のためにと、新しく客車を作り12日より通学列車を運転することになりました。これで冬もなんのその、子供達は楽しく学校え通うことができるわけです。
※二里半=約10KM
※こまどり号の運行開始日は昭和27年10月12日。運行終了日は昭和41年3月25日(これをもって当森林鉄道は廃止)
“北野の古参兵殿”によると、小学1〜3年は「焼笹橋」の近くにあった「上松小学校西分教場(分校)」にてお勉強。現在、分校跡は工房になっているという。そーいえば、そんな工房が今もあるね(下記参照)。 |
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▲上記の分校跡と思われる物件(工房)。 |
2010年2月中旬撮影
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▲[写真86]を対岸から見る。右は「焼笹橋」。1965(昭和40)年、竣工。延長30m。幅員4.60m。これ以前にも橋(木吊橋?)が架かっていたようです。 |
2009年5月下旬撮影
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▲[写真85]のすぐ先。かつてのメインストリート。
左はトイレと東屋。道路を挟んで右に駐車場があります。この時は四駆+スタッドレスだったのが、極悪非道のアイスバーンには参った。ちなみに、当地から上(赤沢自然休養林まで)は除雪されません。
「こまどり号」の発着線は現在、垣根&駐車場になっていると思われます。 |
2010年2月中旬撮影
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▲最末期の様子。「こまどり号」から降りて家路を急ぐ学生たち。奥が赤沢方。廃止(自動車道への切り替え)を控え、本線は併用軌道風になっている。SBC信越放送『信州 蘇る思い出の鉄路』の一場面。
当線の平面図を見る限りでは、建設当初にはなかった停車場のようだ。「こまどり号」の運行開始に伴い、設置されたのだろうか。なお、一般資料では“焼笹停留所”という表現が多く見受けられる。
この章トップの「列車運行予定表(ダイヤグラム)」では、午前10時32分ころに列車交換が行われている。おそらく、上松から来た列車が“こまどり号の発着線”に突っ込み、赤沢方(黒沢線五軒小屋 発)から来る列車の通過を待っていたのだろう。「こまどり号」は日中、上松にいるので線路が空いているのだ。 |
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