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▲軌道跡に戻ります。前ページの消防小屋直後から大沢方を見る。
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2018年5月12日撮影
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▲上写真のすぐ先。最近ではあまり見かけなくなったきた石置き屋根。軌道時代からあるのだろう。
なお、2018年5月12日現在、消防小屋直後から見た限りでは、取り壊されているような感じでした。
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2008年5月上旬撮影@ワル沢氏
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▲上写真の数歩先。舗装路はココまで。
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2008年5月上旬撮影
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▲上写真から阿寺口方を見る。
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2008年5月上旬撮影
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▲[写真47]の数歩先。舗装路が終わると軌道跡らしくなる。
なお、2018年5月12日現在、消防小屋直後から見た限りでは、この辺りに立ち入り禁止を示す“ネット”のようなモノが張られている感じでした。単なる防獣ネットかもしれないが...
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2008年5月上旬撮影
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▲上写真から阿寺口方を見る。
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2008年5月上旬撮影
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▲引いて。イイ感じの集落でした。
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2008年5月上旬撮影
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▲上写真付近から谷側を見る。
ニカウさん(ブッシュマン)程の視力があると、木曽川奥に、野尻森林鉄道本線「木曽川橋梁」のトラスの一部がチラリと見える。
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2008年5月上旬撮影
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▲[写真49]の数歩先。
左側に石碑が建っている。碑面には「故 日傭総頭○○○○(名前)...」とある。杣師のボスだろうか。建立は大正元年とある。
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2008年5月上旬撮影@ワル沢氏
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▲上写真から阿寺口方を見る。
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2008年5月上旬撮影
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▲石碑のワキから阿寺口方を見る。人物の立っているトコが道床。 |
2008年5月上旬撮影@ワル沢氏
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▲石碑の横。こちらは作業中に亡くなられた方を祀っているのか...
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2008年5月上旬撮影@ワル沢氏
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▲上写真の反対側(谷側)。旧歩道か。対岸の林道から見ると、阿寺川の岩の上に橋脚が残っているので、かつては人道用の橋が架かっていたのだろう。
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2008年5月上旬撮影@ワル沢氏
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▲対岸の林道から見た上記の橋脚。 |
2010年9月下旬撮影
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▲これは河原から。左に石垣がある。護岸か。
かつては黒く塗られた“木橋”が架かっていたそうです。そんでもって「黒橋(通称)」と呼ばれていたそうですわ。また、この歩道は「木曽西古道」とのこと。木曽古道は中山道ができる前より木曽谷を通っていたと言われる古い道。だそうです。ちなみに、「木曽東古道」もあるようです。
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2011年9月下旬撮影
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