伊奈川軽便軌道 - プロローグ
伊奈川軽便路線図
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当軽便軌道について(暫定)... 今後、追記等があります
一口に言えば、伊奈川森林鉄道の“前身”。所有は民間。
実際、一部区間では後述の『木曽発電株式会社』から『帝室林野局木曾支局』へ軌道等の無償譲渡が行われています。

当軌道の開設および廃止年月は不明ですが(今後の課題)、大桑村発行の『立村100周年記念 - 写真で見る100年』に、1915(大正4)年ころに撮影された写真に当軌道が写っている。現時点ではこの写真が最も古い。但し、キャプションが間違っていなければ...

軌道の名称ですが、所有会社がコロコロ変わっているので(下記参照)、便宜上『伊奈川軽便軌道』にした。ただ、一部の公文書には「伊奈川軽便軌道」の文字が出てくる。よって、これも参考にした。
軌間:2呎(2フィート / 610mm)
軌条:16封度(16ポンド)

伊奈川森林鉄道の軌間は2フィート6インチ(762mm)なので、前もって改軌を行い譲渡したようです。
当初は人力もしくは馬などの畜力だったと思われるが、後に(昭和時代?)ガソリン機関車が導入された。

★追記(2019年1月14日)
当初は“馬力”だったそうです。

軌道は“木曽興業株式会社”によって敷設された模様。
木曽興業株式会社は、伊奈川御料林の木材の払い下げによる製紙工場。抄紙機を2台所有していた。
木曽や中津川などの地元出資を集めて(筆頭株主は中央製紙株式会社)大桑村須原の橋場地区、現在の『株式会社IHIターボ』の場所に建設された。地域の人々からは「木紙(ぼくし)」という愛称で親しまれていたという。
1913(大正2)年1月1日、新聞紙を中心に生産を開始。

なお、当初の構想とは異なり、原料の木材については御料林からの払い下げを受けることに失敗。木材は北海道や樺太からの調達となり、愛知県の名古屋港や富山県の伏木港で陸揚げし、須原駅まで鉄道輸送したという。
したがって、原料の木材は須原駅からこの軌道を使って工場まで運ばれた。逆に、製品も須原駅まで運ばれた。但し、初期のころは荷馬車等で運んでいたのカモしれない...
いずれにせよ、軌道の開設年月がわかれば、さまざまな疑問点を解消できる。

構想の流れ:伊奈川御料林→工場→須原→各地
実際の流れ:北海道および樺太→須原→工場→須原→各地



1908(明治41)年10月11日
木曽興業株式会社設立。同年、伊奈川御料林から、パルプ資材として同社に年間特売をもって払い下げ決定。

1911(明治44)年
木曽興業株式会社、橋場にて工場を着工。操業開始前に「1号抄紙機」を設置。

1913(大正2)年1月1日
木曽興業株式会社工場、操業開始。

1918(大正7)年10月
木曽興業株式会社工場、2号抄紙機を設置。

1920(大正9)年1月20日
中央製紙株式会社が木曽興業株式会社を合併。原材料の購入および製品販売の合理化を目的に合併したという。合併に伴い、軌道の所有は中央製紙株式会社に。

★追記(2018年1月31日)
橋場の工場は『中央製紙株式会社木曽工場』となる。
木曽工場以遠の軌道は中央製紙株式会社によって敷設された模様。近日より資料の精査に着手。


★追記(2019年1月14日)
1920(大正9)年6月14日、工場にて火災が発生。事務所、倉庫を残して全焼し、操業停止。再稼働はおよそ3カ月後。

1926(大正15)年4月1日
樺太工業株式会社が中央製紙株式会社を合併。軌道の所有は樺太工業株式会社に。橋場の工場は『樺太工業株式会社木曽工場』となる。

1928(昭和3)年11月1日
樺太工業株式会社木曽工場が閉鎖される。
1号抄紙機は恵須取工場(樺太)へ移設。2号抄紙機は中津工場(中津川)へ移設。

★追記(2019年1月14日)
閉鎖の主な理由として、輸送のコスト高が挙げられる。
樅栂(モミ・ツガ)は繊維が短く当時は製紙原料として不適当なので、北海道や樺太からエゾ松、トド松を高い輸送費を掛けて運び、製品にして消費地へ送るので、コストが高く付き、閉鎖に至ったという。

1928(昭和3)年11月19日
伊那川電力株式会社設立。

1928(昭和3)年12月1日
樺太工業株式会社、旧木曽工場の発電設備等を伊那川電力株式会社に譲渡。また、工場敷地の一部は伊那川電力株式会社に移る。残部は蘇水社経営の木曽製糸会社と代わる。軌道の所有は伊那川電力株式会社に。

1932(昭和7)年4月30日
伊那川電力株式会社が信美電力株式会社を合併。

1932(昭和7)年5月27日
伊那川電力株式会社、『木曽発電株式会社』に社名変更。軌道の所有は木曽発電株式会社に。

1936(昭和11)年9月29日
木曽発電株式会社・第三発電所着工。軌道を使って資材等を運ぶ(5屯ガソリン機関車を使用 / 2台あったという)。
ちなみに、第三発電所は、現在の『関西電力・相ノ沢発電所』。

1938(昭和13)年3月12日
木曽発電株式会社・第三発電所、運転開始。

1939(昭和14)年
伊奈川森林鉄道(須原ー今朝沢11.293m)竣工。

1941(昭和16)年10月1日
木曽発電株式会社、電力設備を日本発送電株式会社へ出資して解散。

1942(昭和17)年8月10日
木曽発電株式会社、清算終了。

最終的な軌道の所有は木曽発電株式会社。

細かい点は追々に...

木曽発電株式会社とは...
電力会社,木曽発電,日本発送電,関西電力,大桑村,沿革,福沢桃介記念館
これを見れば一目瞭然かと思います。長野県南木曽町の福沢桃介記念館(山の歴史館)に展示してある電力会社の沿革パネル。

■木曽発電株式会社沿革史 - 序(冒頭の一節)
木曽発電株式会社は、昭和3年創立以来、鋭意其の使命とする、木曽川支流水系の有利なる水力発電地点開発に努力して来たが、電力国家管理の拡充強化により、昭和16年10月、其の全電力設備を日本発送電株式会社に出資して、当会社は解散することになり、創立以来十有三の歴史に、終止符を付したのである。

きっかけは、この隧道 2006年4月下旬撮影
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当軌道の存在を知るきっかけとなった“橋場隧道”。大桑村須原の橋場地区にある。
伊奈川上流(関西電力・伊奈川ダムおよび相ノ沢発電所周辺)の伊奈川森林鉄道および越百森林鉄道廃線跡の威力偵察を終えた帰り道での初めての出会い。
伊奈川沿いの道路とこの隧道が、軌道跡の臭いがプンプン漂っていたので、車を止めて撮影したのがこの写真。
なお、この隧道については、いずれまた。

撮影後、IHIターボそばの民家の庭にいた古参兵殿に訊いてみたところ、「森林鉄道跡だよ!」と。
やはり軌道跡だった!
この時は、あまり深く考えずに「伊奈川森林鉄道の旧線かな〜」程度にしか思っていなかった。ちなみに、伊奈川森林鉄道について、この時はほとんど知識がなかったのだ。後年になって、当然ながら、もっと訊いておけばよかったなーと。まぁ、車越し、垣根越しだったので致し方ない面もあった...

大桑村発行の『立村100周年記念 - 写真で見る100年』
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2009年9月上旬、村史などを見るため大桑村公民館図書室に赴き、いろいろ漁っていたところ、見つけたのがこの写真集である。半ば忘れかけていた、当軌道の写真があった。ちなみに、この写真の場所は現在、道路になっていて、奥に橋場隧道がある(いずれ登場)。
この写真集は今、手許にある。図書室すぐそばの大桑村歴史民俗資料館にて購入。2000円くらいだったような(正確な値段は失念)。興味のある方はぜひ! 歴史民俗資料館自体もなかなか面白いスポットなのでオススメです! かれこれ俺氏は5回くらい入館している。

さて、この写真を見てモチベーションの火が灯ったかと言えば、実はそうでもないのだ。他所の森林鉄道跡に忙殺され、余裕がなかったのだ。本格的な調査に乗り出すのは2011年5月上旬からであり、今なお続いている...(永遠に終わらないカモ)

------- 伊奈川軽便軌道 プロローグ END -------
伊奈川軽便軌道・本線1へつづく

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