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須原停車場
伊奈川軽便軌道,廃線跡,トロッコ軌道,JR須原駅,プラットホーム,保線用車両,貨物側線
JR須原駅のプラットホームから見てみましょう。

保線用の車両が停まっている線路はかつての貨物側線で、また、かつてはその左にモー1本敷かれていました。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
伊奈川軽便軌道,廃線跡,トロッコ軌道,JR須原駅,プラットホーム,須原停車場,貨物側線
上写真のすぐ先。起点方に向かっています。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
伊奈川軽便軌道,廃線跡,トロッコ軌道,JR須原駅,JR東海,保線用車両,貨物側線
上写真から駅舎方を見る。

須原の“古参兵殿”によると、この付近に於いてかつて鉄道用の枕木を製造していたそうである。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
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[写真17]のすぐ先。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
伊奈川軽便軌道,廃線跡,トロッコ軌道,JR須原駅,須原停車場,軌道跡,メインストリート
上写真の数歩先。左の集合住宅付近から奥がメインストリートのようです。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
伊奈川軽便軌道,廃線跡,口宮ノ沢,大災害,土石流,蛇抜け,大桑村
上写真付近の反対側(山側)。口宮ノ沢。かつて大災害をもたらした沢(一番下参照)。俗に言う“蛇抜け”である。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
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望遠。想定外の緑の多さ! 線路の下は暗渠になっています。つまり、構内を横断している。
2018年4月下旬撮影
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須原停車場
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[写真20]から駅舎方を見る。
2018年4月下旬撮影
大正12年の大災害について(大桑村史)
大正12年7月10日ごろから降り続いた雨は梅雨の末期的症状による集中豪雨となって大桑村全域を襲った。ことに17日夕刻から烈しさは増し特に長野・須原地区では馬穴の水をぶちあけたような雨・細引を垂らしたような大雨に見舞われた。そして18日未明にいたり、ついに山津波が発生し村内全域に大被害が起こり惨状を呈した。特に長野・伊奈川・須原・小川地区では死傷者が出る大災害となり群下各町村に比べ最も大きな記録的事件となった。

7月17日、須原鹿島神社の宵祭りの日であった。7月10日ごろから連日雨が降り続いていたが、その日は夕刻から次第に強さを増し午後10時には一層烈しい雨となり、ついに11時ごろには口宮ノ沢が山崩れを起こし、須原駅構内を暗渠で通っていた宮ノ沢が塞がれたためその土砂や水が駅構内を埋め次第に国道に押し出し町へ流れ込んで来たのある。

これを知らせるため警鐘を鳴らしたのであるが烈しい豪雨のため聞き取れないところが多かったという。そのため消防組員等が大声で連呼して、その状況を知らせるとともに避難するよう求めた。そこで区民は真暗な闇夜の中を稲光りをたよりに最も安全地帯と思われる定勝寺へと避難を始めた。

ヤブラ沢上手・お仮屋サデ・本陣サデ・口宮ノ沢及奥宮ノ沢が崩壊し、特に町上に覆いかぶさる上ノ山の幾箇所もの崩壊は、町を埋没する危険をもたらしたが鉄道線路が築堤の役割を果たしたため町は無事であったことは不幸中の幸いであった。
(中略)
また須原駅の惨状は実に目も当てられずホームにあった待合室は屋根が出ているほどに土砂で埋まり、構内にあった貨車数両も土中に没し駅の本屋は半分ぐらい埋まった。
鉄道当局も、事の余りにも容易ならざることに唖然としたありさまであったが減水を待って復旧工事にとりかかった。


ちなみに、岩田書院発行の『蛇抜・異人・木霊 ─歴史災害と伝承─(笹本正治 著 / 1994年12月刊)』に、この災害について書かれています。

第1章 - 大正12年の蛇抜災害とうわさ
・大桑村の災害状況
・新聞に見る蛇抜の模様
・復旧対策と蛇抜の原因
・発電所と朝鮮人
・水害原因のうわさと伝承
伊奈川軽便軌道路線図

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