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▲前ページの水圧鉄管直後から木曽工場方を見る。フェンスの右側は橋場発電所の敷地。
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2011年5月上旬撮影
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▲上写真の数歩先。ココから先はIHIターボの敷地のようなので、立ち入りはご遠慮した。ちなみに“第3工場”まであるようです。ココは“第1工場”。
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2011年5月上旬撮影
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▲上写真から須原方を見る。すでにIHIターボの敷地内でしたら、許して下さい。二度と入りません。
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2011年5月上旬撮影
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▲軌道台帳(平面図)と照らし合わせてみると、こんな感じです。
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「橋場部落写真集」より接写転載加工
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▲終端部付近を伊奈川対岸より望む。手前(川端)にトロッコ軌道の桟橋が見える。
工場は1920(大正9)年6月14日の火災で全焼しているので、復旧に合わせて軌道の付け替えも行ったんじゃないかと思う。
この写真はおそらく、1920(大正9)年6月14日以前のモノ。つまり、木曽興業株式会社か中央製紙株式会社の時代。
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「橋場部落写真集」より接写転載
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▲望遠。車の止まっているトコが終端部と思われる。
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2018年4月下旬撮影
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★ 木曽工場の変貌 |
01)木曽興業株式会社工場
02)中央製紙株式会社木曽工場
03)樺太工業株式会社木曽工場
04)伊那川電力株式会社(現在の関西電力橋場発電所の敷地)
05)株式会社蘇水社(木曽製糸会社)
06)鐘ケ淵紡績株式会社木曽工場
07)石川島芝浦タービン株式会社木曽工場(戦時中は軍需品を生産)
08)石川島芝浦精機株式会社木曽工場
09)石川島播磨重工業株式会社
10)石川島汎用機械株式会社
11)株式会社IHIターボ木曽第一工場 ←今ココ
野尻森林鉄道の章に登場の“野尻の古参兵殿”は戦時中、学徒勤労動員としてこの工場で働いていたという。ただ、何を造っていたかは覚えていませんでした。(2010年ころ聞き取り)
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------- 伊奈川軽便軌道第一支線 END -------
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