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▲梨元隧道の跡。1990年代前半に山ごとえぐり取られてしまったという。
『遠山 森林鉄道と山で働いて人々の記録(南信州新聞社)』によると(以下、抜粋)
「昭和33年から48年まで、6km地点の柿の島から材木を運ぶために、営林署に軌道使用料を払って列車を走らせていた。」
「ここで台車からおろされた丸太は、トラックに積み込まれ、上村川の少し上流にある仮橋を渡って運び出されていく。」
「信和林業が扱っていたのは、おもにパルプ用材だ。立木の伐採権を買った本州製紙の仕事を請け負い...」
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2013年11月2日撮影
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▲梨元隧道。信和林業土場側。延長等は不明だが、短かったようである。
軌道時代の写真が『全国森林鉄道(西裕之氏著)・表紙上段と裏表紙上段左』にあります。
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写真提供:H.T氏 撮影日:1979年4月1日
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▲上写真を部分拡大。上部にペンキか何かで「今日も明日も安全第一」と書いてある。“第”は略字。上記の『全国森林鉄道』では鮮明に写っている。
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写真提供:H.T氏 撮影日:1979年4月1日
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▲信和林業土場。トンネルを抜けてすぐ。対岸は前章の梨元貯木場。手前のガーダー2本は、おそらく遠山川第1号橋梁のモノ。
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写真提供:H.T氏 撮影日:1979年4月1日
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▲対岸の梨元貯木場を信和林業土場から望む。
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写真提供:H.T氏 撮影日:1979年4月1日
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▲逆に、信和林業土場を梨元貯木場から望む。現役時代の信和林業土場の写真が『特選 森林鉄道情景(西裕之氏著)P95上段』にあります。
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写真提供:H.T氏 撮影日:1979年4月1日
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▲上写真を部分拡大。セメントサイロが残っている。軌道末期には北又渡の砂防堰堤建設のためにセメント輸送列車が運行されていた。
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写真提供:H.T氏 撮影日:1979年4月1日
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