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▲前ページのつづき。あゆみ。
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2009年6月中旬撮影
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▲あゆみ。今後も観測します。 |
2015年11月22日撮影
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▲右(矢印)が当橋梁で、左(矢印)は大岩橋梁の橋脚。
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2009年6月中旬撮影@ワル沢氏
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▲当橋梁の位置。 |
2015年11月22日撮影キャプ
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『石臼の由来』(大岩橋梁と乙女橋梁の由来) 金木戸林道開設史(大阪營林局 / 昭和11年11月24日発行) |
金木戸林道の工事中「イラ谷」より一ヶの石臼發見みせられたい。直径三〇糎厚十五糎位の石英安山岩で作りたるものにて、其の由来等につき探求せし處、容易に判明せり。凡そ今より三百年の昔、京の由緒ある夫婦者故あつて此の地に来り世を忍ぶ名を小椋と稱して住ひ、ヒエ、アワ、キビ、豆等を作り日常の糧とし、其の時用ひたる石臼なりとの事なり。
此の夫婦者には眉美しい二人の姉妹あり、姉娘を「おいわ」妹娘を「おとめ」と呼び、両人は日日双六川の淵に出てゝは水鏡にて丈なす黒髪を梳りたりしが、その様宛ら水の精の如くなりしを、何時か里人の知る所となり、村の若者達は南俟山を越へ五里の山道を毎夜この姉妹のもとに通ひたりと云ふ。其の時の歌に
「いこかもどろか『イラ谷』へ おいわおとめを見に行こか」
やがてこの親娘は何処かへ立ち去りたりと云ふ。
この石臼は目下中ノ俣事務所に保管しあり。
※一部新字体を使用 |
つまり(おそらくこんな感じでしょう)
「小椋岩」(おいわ)さん → 御岩 → 大岩
「小椋留」(おとめ)さん → 御留 → 乙女
大岩橋の位置:岐阜縣吉城郡上寶村大字金木戸字イラ谷
御留橋の位置:岐阜縣吉城郡上寶村大字金木戸字イラ谷
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『白蛇ヶ淵』 金木戸林道開設史(大阪營林局 / 昭和11年11月24日発行) |
大岩橋の真下にあり低知れざる○愴なる淵にしてこれより流れる渓流は岩に激して飛躍する様は白蛇ののたうつが如し。
※○は読めず
※一部新字体を使用
位置:岐阜縣吉城郡上寶村大字金木戸字イラ谷
ちなみに、当開設史に“御留(乙女)淵”についての記述はない... |
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------- 金木戸森林鉄道・本線15 END -------
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