王滝森林鉄道・本線18(滝越停車場)/ 王滝林道 鉄1
王滝森林鉄道路線図
01
滝越(たきごし)停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
かつてのメインストリート。ただ軌道を撤去しただけ、という状態を保っていた。しかし、2005年ごろから当時の建物(営林署施設など)の取り壊しが相次ぎ、ダイブ寂しくなってしまった。
1997年11月撮影
02
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
上写真と同位置。標高1050M。16(15?)世帯、20人(19人?)で、住民のほとんどが70歳以上の、俗に言う限界集落。かつては林鉄が唯一の交通手段でした。
2001年6月上旬撮影
03
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
同上。三浦太夫伝承の平家落人集落、滝越。20戸に満たない家はすべて三浦姓だった。ダムや山を「みうれ」と読ませるが、姓は「みうら」である。
鎌倉時代末期、三浦太夫を首領とした三浦一族が相模国から逃れ、安住の地を求め飛騨から鞍掛峠を越えて三浦山の麓三浦平(標高約1300M)に落ち着いた。しかし、高冷地で作物の育ちが悪いので、100年後に、さらに下流のここ滝越に移り住んだと言われている。三浦太夫は和田義盛(相模の豪族で源頼朝の挙兵を助けた功臣だが、北条氏と敵対して破れる)と巴御前との間に生まれたといわれる。 停車場右の山腹に祖先の三浦太夫の墓がある。
2009年11月上旬撮影
04
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
滝越の地名由来は、王滝川に懸かる滝を越すういう意により名付けられたという。滝越ー下黒沢間の王滝隧道横の王滝川に、高さ9Mの王滝があった。この滝の名から村の名が起こったといわれる。(王滝は昔、大滝と書かれていたが、後白河法皇が病気になり夢に「木曽御嶽山に祈りなさい」というお告げがあり、お祈りしたら病気が治ったという。使者は麓の大滝村へ記念に法皇の「皇」を与え「王滝」と代えたという)しかし、長野県西部地震により王滝は自然湖の中に没した。寛文年頃は「たきこへ」村といい独立村であった。元禄13年2月に王滝村と合併したという。
1997年11月撮影
05
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
上写真と同位置。
2006年11月中旬撮影
06
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
同上。
2007年11月上旬撮影
07
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
同上。
2009年11月上旬撮影
08
滝越停車場
王滝森林鉄道,滝越停車場
停車場前から上松方を見る。
2009年11月上旬撮影
「林鉄のむら」自費出版 王滝村滝越地区の三浦さん
新聞スクラップより(昭和52年11月20日/新聞名不明)
木曽王滝村滝越地区で50年6月まで、住民の唯一の足だった森林鉄道スクール列車の運転手がこのほど、林鉄と地区の生活、廃止されるまでの人びとの動きなどを一冊の本にまとめて自費出版した。木曽の林鉄に関する本は少なくないが「生活を託していた」滝越住民の目から書かれたものははじめてで、村の中でも話題になっている。

この本は現在、王滝村役場で自動車運転手をしている三浦征弘さん(39)が、林鉄廃止後こつこつ記録を整理してまとめた「林鉄のむら」で、B5判160ページ。三浦さんは滝越地区に生まれ育った。滝越地区は昭和2年、上松町から森林鉄道が開通するまで、本村へ出るにも岐阜県側へ下るにも歩いて半日がかりの“孤島”だった。徒歩にかわる唯一の足となった林鉄も50年6月末に消えた。

この間、三浦さんは37年から廃止まで、運転手の一人として通学用の村営スクール列車を中心にディーゼル機関車のハンドルを握り滝越ー田島12キロを往復、住民の足を確保した。さらに林鉄廃止が話題になってからは「生活の足をどうする」「ふる里を捨てて移住かー」など、悩む地元の区長、副区長として、営林署や村と林鉄をめぐってかけ合った。また、地区の子供たちが毎朝5、60人も乗車、にぎやかだったスクール列車が、12人まで減っていった急激な過疎化を毎日せつない思いでみつめて来た。

「地区に文明開化をもたらした林鉄」にまだ愛着があるという三浦さんは、地区の歴史のひとこまを書き残し、「自分の歴史」を持ちたかった、と動機を話す。50年夏から、なれぬ原稿用紙にむかい、このほどようやく長野市内の出版社の手で、本にまとまった。内容は林鉄と住民生活の思い出を中心にした前半と、林鉄廃止が話題になり自動車道建設が決まるまでの後半にわかれている。

「大土砂崩れに見舞われ長期不通が決まった日、地区唯一の商店に買い占めの主婦が殺到」「ともに生活し廃止反対の営林署組合員たちに気がねしながら廃止賛成までの悩み」「仲間の移住への残る住民のかき立てられる不安」など、地区以外の人たちには知られていなかったり、理解されていなかったエピソードも多い。三浦さんは「過疎化で一番切実な影響を受けるのは教育だーという点に置いたつもりだが、思ったこのと半分も書きあらわせたかどうか」と、いっている。


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