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奧木曽大橋ーセンミ沢
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薮原森林鉄道「奧木曽大橋ーセンミ沢」
本線に戻ります。奧木曽大橋より鉢伏方を望む。
2009年8月上旬撮影
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奧木曽大橋ーセンミ沢
薮原森林鉄道「奧木曽大橋ーセンミ沢」
同上。
2008年11月上旬撮影
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奧木曽大橋ーセンミ沢
薮原森林鉄道「奧木曽大橋ーセンミ沢」
湖面(カヌー)から。
2009年8月上旬撮影
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奧木曽大橋ーセンミ沢
薮原森林鉄道「奧木曽大橋ーセンミ沢」
奧木曽大橋右岸の広場。石碑があります。
2009年8月上旬撮影
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奧木曽大橋ーセンミ沢
薮原森林鉄道「奧木曽大橋ーセンミ沢」
上写真を部分拡大。これでは読みにくいので...
2009年8月上旬撮影
味噌川山とたかまわり
この辺りは「たかまわり」と呼ばれ、地元の人々には「たかまり」の略称とともに特に眺めの美しい場所として親しまれてきた。たかまわりは、また、笹尾沢と味噌川本流の合流点でもあり、この奧に広がる味噌川山の入口にも当たる。
木曽川の源流たる味噌川は、鉢盛山(標高2446メートル)を水源とし、大小80余の沢を集めて流れ下る。6900ヘクタールの国有林を育んできた母なる川である。

江戸時代、味噌川山は、尾張藩領として森林資源が大切にされてきた。「荻祖村内味噌川笹川惣御山絵図/おぎそむらうちみそがわささがわそうおんやまえず(名古屋市立図書館蔵)」によると、笹尾沢以北の全域が「留山(とめやま)」となり、地域住民の立入りや伐採が厳しく禁止されていたことがわかる。また、同絵図には、味噌川谷の最深部の池之沢と尾頭沢(おとさわ)の上流部二カ所に「巣山(すやま)」という囲みの部分が見られる。巣山とは、将軍や大名達が「鷹狩り」に用いる鷹の雛を保護するための山のことである。味噌川の鷹は、木曽谷のうちでも特に優秀なものとして珍重されたという。

その後味噌川山は明治22年御料林に編入され、昭和2年には藪原駅から味噌川山へ森林鉄道が敷設された。昭和22年、国有林に移管されるに及んで薮原営林署の管轄となり現在に至っている。

ところで、この辺りはなぜ「たかまわり」と呼ばれるようになったのだろうか。かつて、この留山や巣山へ入るには懸崖絶壁の山を越えるか、激流渦巻く谷底を這って行くしかなかったが、地元の人々は、昔からこの山を越すのに高い所を迂回して奥山に進んだと言い伝えている。このことから「たかまわり」の地名が生まれてきたのものであろう。
味噌川ダムの建設により、この山の一部は削られ、一部は湖中に没したが、味噌川の山々とその山々に育まれた源流が、いつまでも豊かな自然をたたえ、村人や下流の人々にうるおいと安らぎを与えてくれることを願ってやまない。

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奧木曽大橋ーセンミ沢
薮原森林鉄道「奧木曽大橋ーセンミ沢」
左岸、芦沢。
2009年8月上旬撮影
薮原森林鉄道路線図

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