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▲軌道跡に戻ります。前々ページのすぐ先。丸山谷土木索道の起点。なお、停車場名は“仮”です。矢印は、丸山谷土木索道の盤台に至る引き込み線と思われる。 |
2013年4月20日撮影
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▲上写真から杉島方を見る。右奥の矢印は、前ページの塩沢、三峰川出合。
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2013年4月20日撮影
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▲[写真85]の数歩先。丸山谷土木索道の盤台に至る引き込み線(と思われる。以下も同)。
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2013年4月20日撮影@ワル沢氏
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▲上写真の引き込み線。数歩先は崩れている。 |
2013年4月20日撮影@ワル沢氏
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▲上写真付近から杉島方を見る。本線からの分岐部は段差になっているので(通常だとスロープ状)、出だしは桟橋になっていたんじゃないかと想像。
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2013年4月20日撮影@ワル沢氏
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▲[写真88]のすぐ先。奥で左に振っているようだ。
実はこの時は、この索道の存在をまったく知らなかったのだ。後日の資料集めの際に知ったのである。なので、半ばスルーの形になってしまった。
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2013年4月20日撮影@ワル沢氏
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▲上写真の数歩先。本線は複線分の道床がある。
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2013年4月20日撮影@ワル沢氏
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▲右岸側から望む。
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「奥三峰の歴史と民族(長谷村教育委員会)」より接写転載
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▲規模においては、長野営林局内随一を誇っていたという。
以下、「伊那営林署生産事業の移り変わり」(伊那営林署)より
丸山谷においては昭和30年荒川地籍と並行して生産事業を開始し、翌31年には主索30ミリメートル・延長3200メートルの丸山谷土木索道を完成させ、皆伐方式により伐採されたモミ・ツガを主体とする搬出材には優良材が多くその見事な椪は伊那北貯木場を賑わした。
台風被害の少なかったこの地籍における生産事業は昭和35年まで続けられ、その後は請負事業が導入された。
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「伊那営林署のあゆみ(伊那営林署)」より接写転載
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