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▲前ページの「高さ制限ゲート」直後から赤沢方を見る。右に大きくカーブ(R=50)し、木曽川支流の小川沿いを進みます。木曽川とはココでお別れです。
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2017年4月16日撮影
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▲上写真と同位置
境界標(境界杭)らしきモノが立っていますが、中央(軌道跡)は営林署もしくは町の所有で、両サイドは関西電力の敷地でしょうかね。1947(昭22)年8月31日撮影の米軍の空中写真では左側に建物らしきモノが写っている。また引込線らしきモノも...
ちなみに、左手の大きな立木は今も健在です(上写真参照)。大きさからして軌道時代から存在しているのでしょう。 |
写真提供:林鉄男氏 撮影日:1982年9月
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▲上写真のカーブ直後。赤沢方を見る。 |
2017年4月16日撮影
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▲上写真から上松方を見る。 |
2017年4月16日撮影
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▲上写真から上松方を見る。 |
2017年4月16日撮影
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▲[写真47]のすぐ先。歩道を跨ぎます。 |
2017年4月16日撮影
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▲現在の橋は「北野1号橋」という名称。北野シリーズの“橋”はコレでお終い。 |
2009年5月下旬撮影
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▲橋梁前から上松方を見る。 |
2017年4月16日撮影
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▲山側(さわやかウォーキングのコース)から見る。建設当初は木橋でした。歩道自体は大昔(軌道開設前)からあったようです。
以下は、鉄橋時代のスペック
延 長:5.486m ※1スパン。木橋時代は方杖ラーメン6.3m
測 点:1935.2m
勾 配:逆10‰
桁の材質:軟鋼工形桁
桁の製造所:東京鐵骨橋梁製作所
橋台の材質:間知石積及コンクリート
起工年月:昭和8年11月
竣工年月:昭和8年11月
備 考:在来木橋腐朽ニ付キ架替
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2017年4月16日撮影
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▲別角度から。「(郷土出版社)思い出の木曽森林鉄道 P118」にチラリと写っている。現在、両サイドはスロープになっているが、利用者はあまり多くないようだ。雨宿りに最適ヨ!! |
2017年4月16日撮影
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▲中央アルプス木曽駒ケ岳を望む。 |
2009年5月下旬撮影
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▲北野跨道橋梁直後。北野停車場に入る。複線(2線)でした。また、当停車場は1929(昭和4)年8月に新設されました。
通りすがりに出会った近所に住む古参兵殿によると、駅舎と保線区小屋があったという。また、車道化に伴い、軌道時代とは周囲の雰囲気がダイブ異なっているとのこと。この古参兵殿(以下“北野の古参兵殿”)は、お隣王滝村のうぐい川森林鉄道・中ノ沢橋梁(木橋)を鉄橋に架け替える時に現場監督をしていたそうだ。 |
2009年5月下旬撮影
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▲上写真と同位置。
保護帽(ヘルメット)をかぶってないので(格好からして)、昭和20年代〜30年代初めの撮影か。つーか、保護帽をいつ導入したのかイマイチはっきりわからない。ご存知の方いらしたら、ぜひ教えて下さい! |
上松運輸営林署「小川森林鉄道 半世紀にわたる記録(1967)」より接写転載
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▲現役時代。上写真の場所に停車中の学童輸送列車「こまどり号」。赤沢自然休養林の森林鉄道記念館に展示してある写真パネル。
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▲上写真と同位置。右奥の家屋はほぼそのまま。まぁ、リフォームしてるんでしょうが。 |
2018年4月下旬撮影
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▲赤沢側から見る。“北野の古参兵殿”によると、自動車の横あたりが赤沢側のポイント部だったそうだ。 |
2009年5月下旬撮影
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▲停車場付近を木曽川対岸の国道19号から望む。 |
2006年11月中旬撮影
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------- 小川森林鉄道4 END -------
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