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▲日帰り入浴もできるようです。
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2015年4月中旬撮影
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▲部屋からの眺め(宿泊)。「絶景かな、絶景かな」でした。
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2015年4月中旬撮影
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▲元(!?)国道19号から。
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2015年4月中旬撮影
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▲橋上から上流方を見る。右が前述した“木曽の桟跡”。
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2015年4月中旬撮影
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▲木曽の桟跡。ちなみに、上方に中央西線旧線の橋梁跡とトンネルがあります。1979年まで使われていたという。
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2015年4月中旬撮影
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▲元(!?)国道19号を独り占め♪
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2015年4月中旬撮影
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長野県史跡「木曽桟跡」 昭和41年3月31日 指定
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説明板より
桟は、けわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので、木曽桟は歌枕にもなっていると共に、県歌「信濃の国」に歌いこまれており、寝覚の床とともに木曽路の旅情をあたためたことでその名が高い。
昔はけわしい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた桟であったが、正保4年(1647)にこれが通行人の松明で焼失した。そこで尾張藩は翌慶安元年(1648)に長さ56間(102メートル)中央に8間(14.5メートル)の木橋をかけた石積みを完成した。このことが、今も大岩壁と石垣に銘記されている。寛保元年(1741)の大改修と、明治13年(1880)の改修と、二度にわたる改修で、木橋下の空間はすべて石積みとなり、残されていた木橋も、明治44年(1911)には、国鉄中央線工事のため取り除かれてしまった。現在、石垣積みの部分は、国道19号線の下になっているが、ほぼその全ぼうが完全な姿で残されていることが判る。
この史跡は、慶安年間に築造された石垣を根幹とし、その後いく度か改修された遺構をほぼ完全な姿で留め、往時の木曽路の桟を偲ばせる貴重なものである。
長野県教育委員会
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