Road to 滝越 ディレクターズカット版 其の3
|
||
衣浦臨海鉄道を後にして“半田”に向かいます。途中のコンビニでガリガリ君アイスを頬張る。
ほどなくして、本日のメインイベントである『半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)』に到着。開場時間は10時。ほぼ時間通りに到着。 半田赤レンガ建物は(以下、半田市のHPより)、明治31年に「カブトビール」の醸造工場として建設。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に、中島飛行機製作所の衣糧倉庫となった赤レンガ建物ですが、戦後は、日本食品化工(株)のコーンスターチ加工工場として、平成6年9月(1994年)まで使用されていました。 工場閉鎖後、平成8年に半田市が買取り、安全管理上、通常は非公開となっていますが、平成14年度から、建物の保存と活用を目的に活動する市民団体「赤煉瓦倶楽部半田」と協力し、年に数回建物内部の一般公開を行っています。 |
||
|
||
この日と翌日は一般公開日(生カブトビールフェスタ)でした。
復刻されたカブトビールを「生」で飲むことができるそうです。 が、オイラは飲めません。車の運転があるので(涙) |
||
|
||
|
||
|
||
ここに来た目的のひとつでもある機銃掃射跡。以下、赤レンガ説明板より 第二次世界大戦時における、半田市への本格的な空襲は、昭和20年(1945年)7月15日、硫黄島基地を発進した米軍のP51戦闘機10数機によって行われました。3機から6機編隊に分かれたP51が、三波にわたり、半田市上空に飛来し、超低空から攻撃を繰り返しました。 市内とその周辺地域に急降下による機銃掃射を浴びせ、8名の市民の犠牲者を出しました。 当時、中島飛行機の衣糧倉庫として使われていたこの「旧カブトビール工場」も激しく銃撃され、火災が発生し、一部が損傷しました。 今もなお、その時の機銃掃射による多数の弾痕が北側壁面に残っています。全国でもまれな貴重な戦争遺跡であり、戦争の悲惨さを語り伝える役割を果たしています。 |
||
|
||
ガイド氏によると、まだ無数の機銃弾が食い込んでいるという。
夜中にコッソリと... |
||
|
||
|
||
|
||
|
||
|
||
戦争中はどんな景色だったのでしょうか。
|
||
|
||
館内に入ります。外とはうって変わって涼しい。
しかし、それも束の間。 湿度が高いので歩くだけで汗タラタラ。まるで蒸し風呂に入っているようでした。 不快指数ほぼ100%(感じ方は人それぞれ)。モー出たい... |
||
|
||
|
||
ここに来た最大の目的である“トロッコ(再現)”。
当初は生産したビールを武豊線の半田駅まで牛車などで運んで出荷。それが大正時代に入り、工場から約1キロ離れた同駅までの緩やかな下り坂を利用して、レールを敷設。トロッコに10箱ずつ乗せて運んだという(手押し)。 再現したトロッコは長さ2メートル、幅1メートル 。製作費は10万円。ちなみに、木製ビールケースも再現。 |
||
|
||
いずれ涼しいトキに再訪し、軌道跡を探してみよう。ガイド氏によれば、僅かながら軌道跡が確認できるという。
|
||
|
||
其の3終わり。其の4へつづく
寄り道をしながら木曽に向かいます |
Copyright©2000-2019 Taro.B, All Rights Reserved.
|